入院日記 32日目
状態
- 右手
- 創部
- 肩こり
- 首
- 動かした時にゴリゴリとした異物感
- 日々、直立姿勢で過ごすことが増えてきているため、ここの痛みがましてきている
- 右肩
- 謎の違和感
- 腕の付け根から肩にかけて「触感が薄い」ような若干の痺れ
- 感覚の鋭敏さが、右肩に比べて95%くらいの薄さになる
8時ごろ、食事

9時、作業療法リハビリ
- リハビリ室に移動
- 「退院したらなんかするんですか?」の雑談
- 「つけ麺食べに行く」というと「自分が好きなつけ麺・ラーメン」の話を教えてくれた
- 布施と今里…なんだけど、お店の名前は忘れてはったんで「駅近くでググれ」となった
- 両店ともに「つけ麺専門店ではない」と言ってたが、布施はここかなぁ?
- 作業療法士のKさんに「退院したら飲みに行きませんか?」と誘ってみた
- 長く話して来て「この人、めちゃくちゃおもろいなぁ」と思い、縁が切れるのがもったいなく思った
- 少なくとも、総時間として30日×15分=約8時間くらい話したはず
- 知らないというほど他人ではないが、知ってるというには表層的だ
- お世話になった(と自分が思っている、相手は仕事だが)ので、単純におごりたい
- これが女性の看護師だったら、なんか色々ややこしそうだが、作業療法士の先生なら問題ないかな?と思って
- 「いいですよー」と言ってくれはったが、嫌がられてないことを願いたい
- 恥ずかしい話だが…俺はエエ歳こいて「友達の作り方」を忘れている
- いや「そんなスキルはもともと持ってない」のかもしれない
- 最近、ずっとうすーくそれを課題に思っていた
- 「このまま行くと”近所で疎まれる頑固ややこしいジジイ”孤独死まっしぐら」が絵として見えるのである
- ので、勇気を出して話をしてみた
- が「相手にとって”困った客”になる」のがいやだったので、拒否する方法を用意した上でお願いした
- 「外で会って、僕を認知してもらえるんですかねぇ」という言葉
- 最初、どういう意味かわからなかった
- 曰く「病院関係者は全員マスクしているでしょう?」と
- それ聞いた時点で、この30日間の日々が走馬灯のように回る
- 作業療法士Kさんも、膨大な看護師さんも、なんなら執刀医の先生さえ「顔の全貌を知らない」のである
- だのに、Kさん初め看護師の数人の「顔の全貌を知っている」という「存在しない記憶」がある
- 人間の「”想像力”というオート補完機能」は、自動的に働いてすごい反面「誤解を植え付けてしまう」という厄介なものだなーとしみじみ
9時過ぎ、体拭き&着替え
- リハビリから帰ってきたら、紙タオルと着替えが置いてあった
- 今考えると「点滴の針(ルート)」が抜けてからは、自分で持ってきた服着たら良かったなーと
- 病院着に一日150円?かかかっているので、バカにならない
- もう退院一日前なんで、後の祭りだが
10時ごろ、検温、血圧計測
- 看護師さんの交代とともに、色々計測
- もう「退院が決まってる」上「その退院時間を選べる」状況である人間を「管理する必要」ってあるのか?と疑問に思った
- とはいえ、滞在している間は「管理していなかったので風邪の人を放置してましたー」は、他の患者の手前も許されない
- ということで「最低限の管理(検温、血圧計測、酸素量計測など)」は”居る限り”継続して行われる…のだろう
- 「シャワーどうします?」って言われたが…
- いや、それができるならもっと前に必要な時間がいくつもあった、なんで今…
- 体拭き&着替えも終わった今だし、明日帰ったら浴びれるので「(やらんで)良いです」と答えた
- が「どんなもんか経験しといたらよかったなー」とも書いている今は思い返している
12時、昼食
- 肉団子!
- ほんと、味がしっかり付いてる、普通の中華が出るの、ずーっと満足させてもらった

15時ごろ、「帰宅後の自主訓練」についてのレクチャー
- 作業療法士Kさんが「自主訓練メニュー」という一枚モンの紙を持って着てくれた
- テンプレもあるだろうけれど、患者ごとにコレを書いてるなら、割と割となお仕事そう
- 家にかえってから毎日やるべきリハビリ・メニューを紙にまとめ、かつその場でレクチャーしてくれる
- ストレッチや患部を動かす運動、道具を使った作業。呼吸法と多岐に渡って書いてある
- その場でも「こうやります」「こうですか?」と実地で確認
- 割とヘビーだが…
- これが、これからの「日常」「ニューノーマル」になるのだ、と実感
- 今まで「マッサージと(相手に動かしてもらってんの)ストレッチ」だったことを考えると、「やってもらってたんやなー」と感謝
- 「あの場では言いにくかったんですが、連絡しますねー」と

16時頃、事務方から「概算のお知らせ」をもらう
- 入院費用の「概算のお知らせ」という紙を、事務の方と思しき人が持ってきてくださる
- ずっとスタッフステーションで見かけてた、制服の違う医療事務担当の方?
- おそらくは「お金準備せえよ」のための予告
- 本人が用意するも家族が持ってくるも、「割と高額に成り得るから、まとまった金用意しといてね」のための予告
- なので、細かい値段が書いておらず、万円の単位でザクっと書いてある
- 一つ質問したら「細かなことで気になることあれば、下(精算時)でなんでも聞いてくださいねー」と
- 「退院が間近だな」と実感
- 大部屋の左右で何度か見かけた風景に「自分の番だな」と

18時、夕食
- おでんだー♪
- とはいえ二度目なんで「一ヶ月でわりとループしてるんだなー」と
- 病院食には「いろいろ学ばせてもらった」と思ってる
- 「なんでもオカズにしてご飯を食う」というスキルを身に着けた
- 小学校の頃に啓蒙されてた「n角食べ」がめちゃくちゃ上手くなったと思うw
- これが「入院生活最後の晩餐」だなーと
- 夕食はこれが最後(あと朝食が一回か)
- ずーっと楽しませてくれたなーと
- 多少の不満をありつつも、ずーっと美味しく残さず食べてた
- 終わると思うと、少々悲しい

退院前日の夜だが…
- もう、ほんっとーーーーに!「看護師さんが来ない」
- 「いつ退院しても良い、治療が必要ない健康体」には、そりゃ何もケアは必要ないかんなぁ
- 悪かない…悪かないけど、なんか寂しいw
- 帰り支度のカバンをまとめる
- 「入院のしおり」や「事前資料」などに従って「最小公倍数」的に持ってくるものを網羅して大きなカバンに詰めて来たが…
- ほんっっっっっっとうに!「なんにも使わなかった」
- 下着、タオル、コップ、歯ブラシ、歯磨き粉、シャンプー、薬、(寒さ用)カーディガン、箱ティッシュ…くらい
- 病院着は「ほぼ強制でレンタル代払って使え」だし、箱テッシュですら「代替品は施設内にある」感じ
- 下着も男性ならパンツだけ、Tシャツすら要らない
- 入院前から知ってたが「洗濯だけは出来ない」ので
- 一人ならパンツだけは多量(7〜8枚?)持っていきゃ事足りる
- あの資料群に書いてあった「必要なもの」は一体なんだったんだ…
- 術後、早い段階で「歩ける」「手が使える」が予想できるなら、ほぼリュックサック一つ程度で入院できる
- 今回「外部の人間に頼らない」ということを決めてたので、もし協力者が居るなら、それこそ「あとで持ってきてもらう」できればもっと減らせる
- と、いうことがわかったのは、一つの学びだ
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